<史実ネタ>高杉晋作、藩邸内で暗殺して桂さんに怒られる&そのまま遊びに出てオカルト事象に遭う話(伊藤公実録より)

ブログ作った時に昔の自サイトの幕末記事サルベージもしたいと思ってたのにローニンに全力しすぎてました。
でもこれもすっごい好きな話なので語っておきたくて……!!

伊藤公実録

「伊藤公実録」から過激な暗殺とちょいオカルトな高杉晋作の話です。
すごくおもしろいし彼らしくて……高杉はいつどこにいてもキャラ立ちすぎ。

「伊藤公実録」
1910年(明治43年)刊行。毛利家編輯所主任だった歴史家中原邦平が伊藤博文の行跡をまとめたもの。幕末時代の話もたくさん。題字からして井上馨に山縣有朋!
国立国会図書館デジタルライブラリで全文読めちゃう最高!家にいながら全部読めて検索もできてすごーい!
引用元はこちら
https://dl.ndl.go.jp/pid/781023/1/102
中原邦平 著『伊藤公実録』,啓文社,明43.1. 国立国会図書館デジタルコレクション (参照 2024-05-16)

江戸藩邸にて宇野東櫻暗殺

1863年(文久3年)正月13日、藩邸で高杉が白井小助という仲間とともに、宇野東櫻という幕府の密偵を暗殺するシーンです。暗殺手法も詳しい。
(以下、訳は細部は適当なわかればいい精神です、ご容赦)

公等同志は幕府の隱密宇野東櫻を櫻田藩邸内の有備館の二階で殺したことがある、是も公使館燒討後のことであろうと思はるゝ、
(中略)
それで高杉等が、彼は我々の行動を幕府に密告する奴であるから、活かしては置かれぬ、是非殺してやろうと云ふことを決議に及んだ、そこで白井小助が好い加减のことを言ふて、宇野を有備館へ連れて來て、さうして有備館の二階で高杉と白井小助が應接して四方山の話の內に、高杉が自分の刀を出して、私は近頃斯う云ふ刀を贖ふたが、一つ御鑑定を願ひたいと言ふと、宇野が然らば拜見と言ふて、其刀を引拔いて暫く眺めて居たが、如何にも結構な御刀ですと言ふて返へした、さうすると高杉が貴方の御佩刀も一つ拜見致したいものと、云ふたので、宇野が自分の刀を差出すと、高杉は其刀を拔いて、切先を宇野の胸先の方へ向け、熟視する風をして、不意にズツと突込んだ、さうすると白井が後で止めを刺したと云ふやうに私は聞いて居る、

(現代語訳)
伊藤ら同志は幕府の隠密宇野東櫻を桜田藩邸(=江戸の長州藩上屋敷)の有備館の二階で殺したことがある。
これも公使館焼き討ち(=文久2年12月)後のことであろうと思われる。
(中略・宇野がかつて長州藩士を密告した話)
高杉らが、「彼は我々の行動を幕府に密告する奴であるから、生かしてはおけない。ぜひ殺してやろう」ということを決議に及んだ。
そこで白井小助が適当な口実で宇野を有備館に連れてきて、有備館の二階で高杉と白井小助で応接してよもやま話をした。
そのうちに、高杉が自分の刀を出して、「私は近頃こういう刀を買い求めたが、ひとつ鑑定してもらいたい」と言うと、宇野は「では拝見」と言ってその刀を引き抜いてしばらく眺めていたが、「いかにも結構な刀です」と言って返した。
すると高杉が「あなたの佩刀もひとつ拝見したい」と言ったので、宇野が自分の刀を差し出すと、高杉はその刀を抜いて、切っ先を宇野の胸先の方へ向け、じっくり見るふりをして、不意にズッと突き込んだ。
その後で白井がとどめを刺したというふうに私(著者)は聞いている。

このあと白井の証言での補足もあり。
もうひとつ別パターン、伊藤が殺したのでは説もあり、伊藤本人に聞いた時の回想で「私が殺したわけではないが、皆がぐずぐずしているので私が短刀を突きつけたところ、他の者がその手を押して刺した。とどめは白井が刀で横腹を刺した」という証言も載っています。
いずれにせよとどめは白井が刺したみたい。

桂さん達に怒られる

すぐさま藩邸でそんなことしちゃダメでしょ!って周布さんと桂さんに怒られます。既視感のある光景……

麻田公輔(周布政之助變名)有備館の塾長桂小五郞抔が此事を聞くや、現塲へ臨んで、ドウも藩邸の內で人殺しをするやうな亂暴なことをしては困ると言ふて、叱り付けて、

(現代語訳)
麻田公輔(周布政之助の変名)と桂小五郎らはこのことを聞いてすぐに現場へ行き、「藩邸の中で人殺しをするような乱暴なことをしては困る」と言って叱りつけて、

死体遺棄~オカルト発生

その後、伊藤達が死体を遺棄し、その夜のうちに「高杉は遊びずきの男だから(原文ママ)」馬に乗ってひとりでお出かけします。
さすがというか……殺したそばから&怒られたそばからよくそんな気になるなぁ。

ところが、その後宇野の死体を捨てたあたりで、どうしても馬が動かなくなります。進めようとすると、今度は鐙の紐が切れる。しょうがないので鐙を結び直して、もう一回乗るけどやっぱり進まない。さらにはもう片方の鐙も切れる。
ここにいたってようやくさすがの高杉も(高杉のやうな男でも・原文!)これはただごとじゃない、となって、その日はなにもせず藩邸に帰りました。
で、伊藤らに「どうにも不思議なことがあるものだ」と話した……っていう話。

其死骸は薦に包んで公等三四人が擔いで、屋敷の門を出て、暫く隔つた所へ棄てゝ仕舞つた、是は夜中の事であるが、間もなく高杉は遊びずきの男だから、馬に乘つて出懸けて、其死骸の在る所に往くと、馬がドウしても進まないので、頻りに馬を責めて、進めやうとすると片一方の鐙が切れた、飛び降りて鐙を結ひ付て、再び飛び乘つて見たが、矢張進まぬので、又々馬を責めると、今度は他の一方の鐙が切れた、そこで高杉のやうな男でも不思議の感を懷いて、それ切り屋敷に歸つて來て、ドウも不思議な事があるものじやと云ふ話をした相である

(現代語訳)
宇野の死骸は薦(こも、むしろ)に包んで伊藤ら3・4人で担いで、屋敷の門を出て、しばらく隔たったところに捨ててしまった。
これは夜中のことであったが、まもなく高杉は遊び好きの男だから、馬に乗って出かけた。
その死骸のあるところに行くと、馬がどうしても進まないので、しきりに馬を促し、進めようとすると片一方の鐙が切れた。
飛び降りて鐙を結びつけて、再び飛び乗ってみたが、やはり進まないので、さらに馬を促したところ、今度はもう一方の鐙が切れた。
そこで高杉のような男でも不思議に感じて、それきり屋敷に帰ってきて、「どうも不思議なことがあるものじゃ」という話をしたそうである。

エピソード的に幕末らしさ全開だし登場人物豪華だし描写も具体的だしオカルトだし、高杉はどこまでも高杉だしおもしろいなぁと。

ついでなので他の幕末史料もおすすめさせて

「木戸孝允日記」
木戸さん=桂さんの明治元年~10年までの日記。
ざっと読みでも飲み会の頻度が多くないか……? しかも飲み友が山内の殿様(山内容堂、自称鯨海酔侯なくらいの酒飲み)はやばくないか……? そしてよく体調不良。
基本業務日誌的な記述ですが、たまに高杉を思い出した話とか出てきてウッてなります。
「東行は余の知已不幸にして先年已歿余不能忘(高杉は私の知己、不幸にして先だったが忘れることができない)」とか。
「征西日記」(伊庭八郎)
幕臣・伊庭八郎が元治元年(1864年)に上洛した際の日記。
いかめしいタイトルに似合わず、鰻を食べてどこがうまいだのまずいだのの話とか虫歯で稽古休んだ話とか、風邪ひいてお見舞いにカステラとかお菓子いっぱいもらった話とかのただただゆるふわ幕臣ライフが楽しめます。
倒幕派志士の思想全開なのとの対比、そしてこのひとものちのちは箱館で死闘する隻腕の美剣士になったという対比を知りつつ読める現代人の贅沢ときたら。

とはいえ、いきなり原典にあたってもなかなか面白い記述に辿りつけない&これ本当にこういう意味かな……?で悶々とすると思うので、とっかかりとしては普通の現代向けの歴史の本を読んで、その参考文献から攻めていくのがおすすめです。
勝てば官軍(原義)なので史料はやまほど・大事に残されてていくらでも沼れる感じすごいなぁ。

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